言うまでもなく、2001年9月11日のあの悲しい出来事です。
8年目を迎えるのですね。
早いものです。
あの日、会社へ行く前にテレビを見ていたら、飛行機事故と言ってワールド・トレード・センターの映像が流れましたが、直ぐに家を出ましたし、地下鉄、バスと乗り継いでオフィスに到着した時、ロビーでも誰も騒いでいなく、テレビもラジオもないオフィスで、たまたまその日は一人で、2日後から始まるツアーの手配の確認や、1週間後の修学旅行の手配などで、黙々とデスクワークをこなしていました。既に電話も繋がらない状態だったようで、なんて静かな1日なんだろうと、張り切って仕事をしていました。
もし、私の会社のオフィスが、通常のオフィス・ビルディングの中にあったら、10時までに皆、ビルから退去させられていたので、事態が分かったのですが、レジデンスビルの1室がオフィスになっていた為、逆に皆帰ってくる方のビルなので、何も知らないまま6時まで働いていたのです。
ご存知のように、マンハッタンは中洲ですから、橋やトンネルを通って外部へと行くのです。その、全てが6時まで閉鎖され、交通機関も6時に再開でした。ですから、私が外へ出た時は、通常通りの運行でしかも料金がただと言うわけの分からない状況で家路に着きました。
まるで映画の1シーンの様に、すっぽりとビルに飛び込んでいく飛行機、100階以上のフロアから、次々と飛び降りる人々、だるま落としのように崩壊する107階建ての巨大なビル。胸を締め付けられるようなシーンが次々と映し出され、声もなく呆然とテレビを見ていました。その後、人々の無念さを考えると、テロリストに対する憤りでその日は眠れませんでした。
本当に被害を蒙ったのは、日本のマスコミ報道からでした。来る日も来る日も、同じシーンを繰り返し放映し、あたかもマンハッタン全土が、いえニューヨーク市が焼け野が原になってしまったような錯覚を与え続けたのです。1年半先までのツアーは全てキャンセルされました。だってあの場所はほんの一角で、市民生活は通常通りだし、ミュージアムもエンパイアもミュージカルだって翌日からオープンしていたって事など、何の報道もされなかったんですよね。
自由奔放で、団結心などまるで無いみたいなアメリカ人が、あの時ばかりは一つになって、テロに負けないアメリカと、皆、星条旗の元に一致団結して元気を出そうと頑張っていた時、日本のマスコミだけは其れに水を差す報道を続けていたんですよね。本当に損害賠償してもらいたいくらいでしたよ。
あの年のビッグ・クリスマスツリーは、鎮魂の意味をこめて豆電球は星条旗の、赤、青、白の3色だけで飾られました。本当に荘厳で涙が出るくらいに素敵でした。
今、2011年のオープンに向け、ワールド・トレード・センターの跡地には、メモリアル・タワーの建築が進んでいます。世界一高いタワーが完成する予定です。完成した暁には、NYへ出かけ、改めてあの場所で皆様のご冥福をお祈りしたいと思っています。
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